鹿児島大学医学部第三内科教授を平成19年3月末で定年退職して、4月に慈愛会会長就任、その3カ月後に、外来を立ち上げました。「1人1時間、日曜日にもじっくりと診察する」という長年の夢をかなえ、コンサル外来という形で始めました。午前のみ、理想的には各日4名ずつですが、予約枠がすぐに埋まり、新患の飛び込みも断りませんので、最近は患者数が毎回10名を超えるようになりました。本当に忙しい。嬉しい悲鳴です。午後まで休みなしで患者さんに向き合います。待たせずに済むよう努力していますが、診察日を増やすかどうか、悩みどころです。
HAM(HTLV-1関連脊髄症※納会長が1986年に発見・命名した神経難病)の相談、片頭痛、それから痛風の患者さんが目立ちます。私自身が痛風の経験者。患者の視点を持って治療できるので、頼りにされるのだと思います。
痛風の治療薬は、尿酸の産生過剰型か、腎臓からの排泄低下型かで処方が異なります。患者になって初めて病型診断の大切さに気付きましたが、この鑑別検査を鹿児島で実施するのが私だけ。半日掛かりの、手間がかかる検査です。激痛を抱えた患者さんを鑑別検査して、落ち着いたら元の主治医に戻しますが、中には「やはり納先生に診てほしい」という方もいらして、ありがたいことです。専門外の相談でも、ゆっくりと話を聴いて、その人にとって一番いい方策を考えます。とても喜んでもらえます。ほんとうに、この外来をやってよかったと思います。
京都画壇の村居正之先生に弟子入りしたのが61歳。福岡で月1回、先生が日本画教室を開くのに合わせて通うようになり、もう12年が経ちました。昨年までは、ワゴンタイプの自家用車に大型の作品と画材一式積み込んで、早朝出発で翌早朝帰るという強行軍でしたが、今は新幹線日帰りです。持ち込む作品も30号以下にしました。
さきほど話したように、最近は患者さんがとても多く、まとまった休暇がなかなか取れないので、スケッチ旅行ができずにいます。私の好きな桜島をはじめ、さまざまな題材を描き続けたいと思います。
医師になったのは、開業医だった父の背中を見ているうちに自然な流れで、といったところです。私を含め6人兄弟うち男4人が医師に、女2人が医師の妻となりました。医師一家です。
医師人生で大きな影響を受けたのは、聖路加国際病院の日野原重明先生です。患者さんの視点を持つ大切さ、臨床のすばらしさを教わりました。鹿児島大学医学部第三内科初代教授の井形昭弘先生も尊敬してやまない恩師の一人。臨床に打ち込む姿勢をはじめ、深く感銘を受けました。薫陶を受けたこの先生方に、医師としての理想像を見る気がします。
「努力に勝る天才なし」です。いつもそう考えています。能力がないと自覚しているので、足りない分は努力で補うほかありません。一に努力、二に努力、努力することが私の生きがいであり、趣味。努力することが一番楽しい時間です。いつも前向きで、自他ともに認める根っからの明るい性格です。
今村英仁理事長がはっきりと方針を示して、全職員が一致団結して計画に取り組んでいますね。号令のもとに団結して動くのがすばらしい。感動します。この流れで行くと、必ず日本一の病院になると約束されている気がします。
会長就任以来、ずっと「患者さんから見て日本一の病院に」と職員の皆さんを励ましてきました。規模の話でなく、受診した患者さんに「こんなにすばらしい病院はほかにない」と思ってもらえればそれが一番です。もちろん今も、高度な技術があり、患者さんを大切にする、すばらしい病院です。実は今年9月、鎖骨を折る大けがを負い、今村病院分院で人生初の全身麻酔下の手術を受けました。入院中「やはりすばらしい病院だ」と実感しました。治療法の進化にも目を見張り、リハビリの抜群の効果に感嘆しました。他院を含め過去にも2度、入院経験があり、患者さんの視点で医療を見られるようになったのですが、医療人が病気や入院加療を体験すると多くを学ぶ、とあらためて思い知りました。
新しい病院がさらに多くの皆さんに支持され「患者さんから見て日本一の病院」となることを確信しています。それができれば、慈愛会はこの先ずっと発展していけると思います。