鹿児島大学医学部を卒業したのが1977年。その年初めて、ATLが、それまで知られていた白血病とは異なる、一つの独立した病気であることが報告されました。医師としての歩みがちょうど、ATL研究の歴史と重なります。病気と一緒に歩んできた医師人生です。輸血の進歩や無菌室の整備で大人の急性白血病は治る病気になったのに、ATLはなかなか治療結果が上がらず、日中は外来で診察、夜間は研究に没頭、という生活を続けました。ATLという難病を治したい一心でした。全国の症例をまとめて、初めて海外で学会発表したのが96年。骨髄移植が大きな治療効果を上げることを世界で初めて確認し、2001年に論文発表しました。地元紙の一面で大きく報道されたのが印象に残っています。以後、骨髄移植件数・治療成績がともに上昇してきました。2年に1回は海外での発表に臨みますが、医師だけでなく看護師や理学療法士にも学会発表の経験を踏んでもらい、チーム医療のレベルアップを目指しています。現在、厚生労働省の8つの研究班の班員として共同研究を続けています。
患者さんとは「一緒に治療して一緒によくなっていこう」という気持ちでいます。皆さん非常につらい思いをされています。必ず患者さんの側にたち、患者さんの心を受け止めて、それに応えていく「心配り」が大切。一方的な気配りにならないように、と思っています。生まれ育った愛媛でミカン農家を営んでいた父は、よく「何かを一生懸命にやれるのは、周りのおかげだ」と話していました。その気持ちはずっと持ち続けているつもりです。病気の治療に際して、必要以上に苦しむのはよくない。いかに快適に長生きできるか、患者さん本人にとっての幸せとは何か、を常に考えるようにしています。
職員の一体化が最重要だと考えます。新病院が目指す「患者さん中心」という方向性を確実なものにするには、医療・サービスを提供する側の結束力が不可欠です。職員が一体化してこそ、表面的な利便性ではない、患者さんにとって一番いい仕組みをつくっていけると思います。大切なのは、職員同士対等な関係で、本心からの意見交換ができること。私も職員と一緒に悩み、考えていかなくてはと思います。必要な情報の共有も大切です。院長としては、活かせる情報を一刻も早く出し、公にできない情報があれば、なぜ出せないかの理由をきちんと伝えなくてはなりません。そして、職員の得手不得手など一人ひとりの情報をキャッチし、得意な部分をうまく引き出して活躍の場をつくり、才能を伸ばしていきたいと考えています。
決して運動が得意な子供ではなかったのですが、中学校で卓球部の立ち上げにかかわり、競技にのめり込みました。大学では、医学部生は医学部の部活動に所属するパターンが多い中、私は本学の卓球部に6年間所属した変わり種でした。九州インカレ団体準優勝も2度経験しました。卒業後も大学の練習に時折顔を出し、その様子が「〝卓球先生〟元気の秘訣は?」のタイトルで地元テレビのニュース番組に取り上げられたこともあります。2012年、第30回全日本医師卓球大会の鹿児島開催にかかわり、盛況のうちに終えたのがいい思い出です。