先輩看護師の声

  • 2023年07月10日

    先輩看護師の声をお届けします

                
    7月
     
     

    私の大切にしていきたい看護

    今村総合病院Sさん

    今村総合病院に就職して、看護師として働き始めて3年目を迎えました。
    当院は、急性期から終末期まで多種多様な疾患の看護を学ぶことのできる病院です。私の働く部署は急性期です。急変や看取りの多い病棟で多くのことを学んできました。急性期だからこそ、手術や状態悪化時のアセスメント力、瞬時の報告・連絡・相談、多重課題を学ぶ事ができます。一貫して全てを学ぶことができるこの病院に私はとても魅力を感じています。
    当院ではプリセプター制度を導入しており、入職時から手厚く先輩方がサポートしてくれます。技術面での指導も徹底しています。2年目ナースになってからも、相談役として、いつでも話を聞いて下さいます。部署間だけでなく、呼吸状態について判断に迷った時に、ICUのナースや集中ケア認定看護師、特定行為看護師に相談する事が出来、一緒に意見交換を行い、アセスメントし、今後のケアの方針について話し合う事が出来ます。専門性の高い技術を身に着けた先輩方と働く事に、毎日、私はたくさんの刺激をもらっています。

     ここで、少しではありますが、私が体験した忘れられない看護の思い出をお伝えします。
    Aさんは、ご高齢の方で、結核疑いのために個室に入っていました。認知機能も低下しており、部屋から出よう出ようとされます。その度に入室しては、Aさんに状況を説明し、傍に付き添う日々が続きました。せめて、温かいシャワーを浴びて頂きたいと願いましたが、個室にはシャワー室がありませんでした。師長さんと相談しました。そしてAさんに大型のビニール袋に入って頂き、簡易シャワー装置を用い、シャワー浴を計画し実施しました。その時のAさんの嬉しそうな笑顔は今でも忘れられません。何でも工夫する、患者さんの為に考える、あきらめない。そんな看護を大切にしたいと思っています。

     また、新人看護師時代の忘れられない患者Bさんです。Bさんは技術的に未熟な私が静脈注射をする時も、朦朧とする意識の中、開眼し「ううん。痛くないよ」と言って下さいました。ある日、Bさんは急変しました。努力様呼吸となり、呼吸苦を問うと「大丈夫。苦しくないよ」と返事をされましたが、それが最後の言葉でした。みるみるうちに意識レベルが低下し、ご家族へ連絡しました。呼名反応もなくなり、眼球上転、舌根も沈下し、肩枕を挿入しながら家族の到着を待ちました。奥さんが来られ、一緒に声をかけ続けましたが、到着後10分後には、血圧測定不能となりました。遠方からの娘さんの来院を妻と共に待ちました。更に10分後には心停止アラームが鳴りましたが、手を握り身体をさすり声をかけ続けると、1分程度で再び、脈波が表示されました。何度かこれを繰り返し後に完全に心停止、アラームが鳴りやむ事はなくなりました。
    その後、娘さんが到着し、アラームを止めてご家族との時間を作りました。私は泣きながら、Bさんに感謝を伝えました。エンゼルケアもご家族と一緒に行わせて頂きました。私は迎えの車を見送る最後まで泣き崩れてしまい、もっと看取る家族へも出来る事があったのではという思いのなか、先輩看護師より「泣くことは決して悪い事ではないし、それで救われる家族も多い、間違ったことは一つもないし正解もない」と声をかけて頂いて、少しだけ心が軽くなったのを覚えています。
    それから2カ月経った頃、師長さんより、B氏の奥さんが来院され「あなたが最後の場に一緒にいてくれたことが心強かったと感謝されていた」と報告を受けました。あのとき、泣きながら必死で声掛けする私を見て救われたと、奥さんの生きる力になったとのことを伝えられました。私は思ってもいないご家族の気持ちに驚きました。看取りの日とその出来事で私はまっすぐ患者さんと向き合うこと、後悔しないよう看護を続けることを決めました。どんな役割も全力で手を抜かないことを決めたのもその日からです。
     忙しい業務の中で、どのように工夫して業務を終わらせ、患者さんの元へ足を運べるか、毎日が、達成感であふれています。
     悩む事も多いですが、それ以上に看護をする喜びがあります。そんな、今村総合病院で一緒に働いてみませんか。


     

     


    コロナ禍での患者と家族との関りを通して学んだこと

    今村総合病院Mさん

    私は、慈愛会系列の看護専門学校に入学して卒業後に今村総合病院に就職しました。現在、脳神経内科・外科病棟に3年間勤務しています。
     私が関わった印象に残っている患者様のエピソードを紹介します。
    A氏は80代後半女性、入院前のADLは自立で独居でした。友人が連絡がつかないと警備会社に連絡し自宅訪問した際に倒れているところを発見され、心原性脳塞栓症にて入院となりました。A氏は入院時から意識障害があり、疎通がうまく図れない状況でした。息子さんは県外在住でしたが、今回、A氏の脳梗塞発症に伴い、鹿児島に帰省してきました。しかしコロナ禍、県外在住のため、一度も面会ができませんでした。
    息子さんは荷物受け取りの時や電話で毎日「母の様子はどうですか。リハビリではどのようなことをするのですか?」といった内容を看護師へ質問され、私はご家族の不安が少しでも緩和されるように、その日のA氏の様子やリハビリの内容を細かく、息子さんが母親の様子がイメージできるよう意識して伝えました。リハビリスタッフとも密にコミュニケーションを図りながらA氏の様子を把握しました。徐々にA氏の覚醒度も上がり疎通が図れる状況になった時、テレビ電話の提案を行い実施しました。A氏とご家族はテレビ電話の面会をとても喜んで下さり「Mさん、いつもありがとうございます」と感謝の言葉や労いの言葉をかけて下さいました。日々、受け持つ中での短期間の関わりでしたが、日々の状況説明やテレビ電話などの介入を行うことが、面会できない状況の中でA氏や家族の不安軽減や様々な思いへの傾聴に繋がり、信頼関係の構築につながっていったのではないかと思います。
    看護師はコロナ禍における患者や家族をつなぐ架け橋となる重要な役割があります。本来なら直接面会し、実際の患者の状況を見ながら説明を聞いて、一緒にケアを行って、現状を理解してもらい、受容へとつなげていきますが現在は難しい状況にあります。そのため、家族は患者が今どのような状況なのかと家で考え、電話での医師からの説明や看護師に様子を聞くしかありません。その中で看護師はまず患者の状況を十分理解し、患者と家族へわかりやすく伝え、入院に伴う不安の軽減や現状理解へつながるよう介入していく必要があります。
     24時間の入院受け入れや日々の業務をこなすことで精一杯になってしまっている現状の中で、看護師として患者や家族とコミュニケーションを図っていき、関りから不安や思いを傾聴し・解消し、安心して入院生活が送れるよう介入していく必要があると感じました。これからも様々な状況の患者、家族と出会っていく中で、A氏の家族との関わりから学んだ思いに寄り添うことの大切さを忘れずにいたいです。
    2年間、急性期に努め、様々な患者様、ご家族と出会い、多くの事を考え学んできました。魅力多き当院でこれからも看護師として成長していきたいと思っています。
    慈愛の心を大切にする今村総合病院でお待ちしております。 


     

  • 2023年06月01日

    先輩看護師の声をお届けします

     

    6月

     

     

    患者さんからの嬉しかった一言

    奄美病院 Iさん                                 

    入職2年目の看護師です。私の看護体験をお話したいと思います。
    私の働いている精神科急性期治療病棟では、10代~80代の幅広い年齢層の患者さんが入院しています。一人の患者さんは、入院当初不安感が強く幻覚におびえて何度も「怖い怖い」と訴えており、意思疎通をとることも難しい状態でした。しかし、治療をしていくうちにだんだんと他の患者さんとコミュニケーションがとれるようになり、入院時とはまるで別人のような笑顔で、手を振り退院されました。その姿を見て、精神科医療の大切さを改めて学ぶことができました。また、うつ病で不安症状がある患者さんとの関わりでは、不眠や不安症状が続き、薬を服用する事にも不安を訴えていました。看護者には、不安の原因となる気持ちを表出する事はなかった為、勤務の時は担当ではなくても、常に患者さんのもとへ行き挨拶をしたり、眠れないことに対しての思いを聞いたりしていました。ある時、私が休み明けで出勤した時に「待っていたよー話を聞いてもらいたくて」と声を掛けてくださいました。「いつも話を聞いてくれてありがとうね」と言われ、その患者さんにとって安心して話ができる存在になれたと感じた瞬間でした。患者さんとのかかわり方はお一人おひとり違う為、看護していく中で「これで良かったのかな」と不安になることも多く、振り返る事がたくさんあります。その中で、この患者さんからの言葉はとても嬉しい気持ちで一杯になり、自信にも繋がりました。これからも、一人ひとりの患者さんに寄り添える看護師に、成長していきたいと思います。




     

    患者様にとって心地良い環境とは ~A氏との関わりで学んだこと~

    いづろ今村病院 Mさん
    いづろ今村病院緩和ケア病棟に配属され、様々な気持ちや身体症状を抱えながら過ごされている患者様やご家族と関わる中で、看護に答えや正解がないことを日々感じながら過ごしています。分からないことや悩むことが沢山ありますが、先輩をはじめ多職種の方々へ相談し、「患者様・ご家族に望ましい選択とは。どのように最期の時を過ごしたいか、どのような支援が必要か」を考えるとともに、患者様やご家族を通して多くのことを学ばせて頂いています。
    看護師1年目の秋に出会った肺癌の患者様A氏は、病状の進行に伴い次第に寝たきりとなり寝返りも自分では出来ない状態で、褥瘡リスクが高くなっていました。A氏からも「ベッドが少し硬い」という発言があり、エアマットに変更したら軟らかいベッドで心地よく過ごせ、褥瘡予防が出来るのではと考え、エアマットの導入を行いました。しかし、数日後に夜勤者や理学療法士より、A氏から「マットが合わなくて辛い」「マットが軟らかすぎて身体が動かしづらい」「夜も眠れない」との訴えがあったと聞きました。A氏に会いに行くと、表情は険しく同じ訴えがありました。A氏の身体面から見ると褥瘡のリスクは非常に高く、褥瘡が形成されてしまうと創部の疼痛や感染のリスクが考えられ、さらなる苦痛を生じてしまう可能性がありました。しかし、こんなにも心身の苦痛を訴えられ、本来の目的である「心地よく穏やかに過ごす」ことが出来ておらず、自分が行ったケアにより新たな苦痛を感じさせてしまったことに、ショックと申し訳なさを感じました。マットを元に戻してあげたい、褥瘡予防の観点からエアマットは必要なのか、A氏にとって良い選択とは?と葛藤を抱きました。そこで理学療法士や先輩看護師、介護福祉士に相談しました。今の状況は褥瘡リスクが高く、エアマットが望ましい。しかし、緩和ケア病棟でありA氏とって何が一番大切なのか、今一番大きな苦痛はなんだと思う?とアドバイスを受けました。エアマットに限らず、背抜きや体位変換による除圧でも褥瘡予防は出来ます。様々な助言のもと、元のマットに戻すことを決めました。A氏に褥瘡の可能性とエアマット以外の予防法を説明し、マットを戻すか再度確認すると「お願いします」と返事がありました。その後、「よく眠れるようになった」「今のマットがいい」と表情も穏やかになり、笑顔が見られはじめました。マットの心地よさはどうかと毎日気にかけるようになったのがきっかけとなったのか、A氏から、家族のことや自宅での生活のこと、自宅で家族と過ごし最期を迎えたいなど、今まで聴けなかった気持ちを表出され、私はその度に傾聴していました。お話しをしてくださるようになり、嬉しかった気持ちを覚えています。
    入院生活は非日常的なものですが、患者様にはそこが生活の場となります。患者様が少しでも心地よく穏やかに過ごせるように環境を調整することの大切さ、その環境が心地よいかどうかは患者様自身にしか分からないことであり、だからこそ評価が大切であることを改めて学ぶ出会いとなりました。
    これからも、看護師の仕事をする中で基本的なことではありますが、処置やケアを行う前には必ず説明や声かけを行い、患者様の表情や言葉などの反応を観察すること、そこに患者様の気持ちがあることをこれからも忘れずに行いたいと思っています。
    また、患者様は恐怖心や痛みを伴う処置でも必要な処置ならと頑張ってくださいます。手を握ったり、体に触れたり、声をかける、それだけでも患者様の気持ちは違うと思います。そして、環境調整はもちろん、自分自身が患者様にとって環境の一部であることを忘れず、患者様に安心と心地よさを感じてもらえるような看護師になりたいと思っています。
    「医療の原点は、慈愛にあり」
    慈愛会の医療理念となっている、「慈しみ、愛する心、その素朴で純粋な気持ち」を大切に、患者様ひとりひとりの気持ちを大切にしながら心と心をつなぐ看護ができる看護師を、一緒に目指してみませんか。

     



     

    聞く力

    谷山病院 Yさん
    私は入職して3年目になります。現在精神科一般病棟で勤務しています。
    看護学校での病院実習が精神科看護師を目指すきっかけとなりました。正直急性期病院で処置や注射をどんどんこなす看護師に憧れやかっこよさも感じていました。しかし、精神看護学実習では、人と関わることの意味を感じたことが進路に大きく影響しました。そして、どの病棟でも学生の言葉や発表に手を止めて学生をみて聞いてくれる精神科看護師の姿に「ここで働いてみたい」と思うようになりました。

     実際働いてみてギャップも多くありました。私は社会人1年目でもあり、社会人としてのマナーや礼儀を家族のように教えて頂きました。臨床では実習と違い、行動制限のある方や不安の訴えや興奮に私が対応出来ない不甲斐なさとストレスに押しつぶされそうな時期もありました。看護ケアや業務に慣れていくのに時間がかかったかもしれません。しかし同期から沢山の力や励ましをもらいました。

     そんな中でも私にできることを探しました。恩師の言葉「精神科看護はあなたが治療の道具となる」その言葉の意味を考えました。世間話や愚痴でも話せる存在になろう。「話を聞く」それは簡単なようで難しくもありました。頷くタイミング、目の表情、声のトーン全てにおいて患者さんの「ありがとう聞いてくれて」に至るまで時間もかかりました。
    聞いてくれる看護師になることでケアがスタートできる気がしています。

     しかし、私が今思うことは、精神科問わず看護師にとって「聞く力」は自分の心の出し方や見え方が解り大事な事だと思っています。
    人対人、関わることの大切さを日々精神科看護師として感じながら、次のステップに向けて日々ケアを進めています。
     


     

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